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崖の上のポニョの呼び捨て問題!なぜそうすけは母親をリサと呼ぶのか

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一度聞いたら耳から離れない主題歌とキャッチーなタイトルの崖の上のポニョ。

原作から脚本まで宮崎駿監督が「千と千尋の神隠し」ぶりに手がける作品ということもあり大きな話題となりました。

そんな崖の上のポニョですが賛否両論が飛び交う問題があります。

それは主人公のそうすけが母親のリサを呼び捨てで呼んでいること。

そこで今回はそうすけがなぜ母親であるリサを呼び捨てにするのか?

ということや子供が親を呼び捨てで呼ぶことについての意見・考察を記事にしていきたいと思います。

崖の上のポニョでそうすけが母親のリサを呼び捨てにする理由とは?

崖の上のポニョの呼び捨て問題!なぜそうすけは母親をリサと呼ぶのか
今回取り上げるそうすけの両親呼び捨て問題ですが、主人公のそうすけは母親のことを「リサ」 、父親を「耕一」と呼び捨てにします。

映画内ではそのことに関して触れるようなシーンは一切ないんですがこのことについて賛否両論の意見が飛び交っています。

宮崎駿監督の意向?

宮崎駿監督の意向としてリサ自身がそうすけに呼び捨てにするように育てているという意見があります。

これはたとえ家族間であっても一個人として自立するべきだという象徴。

もしかすると今後の日本の家族のあり方を提案しているのではないかという意見です。

宮崎駿監督の考える名前の大切さ

僕の考えなんですが宮崎駿監督は度々この名前の大切さというものを映画を通じて伝えたかったんじゃないのかな?と思っています。

ポニョの本当の名前はブリュンヒルデ。

ですが作中ではブリュンヒルデと呼ばれることはなくポニョはポニョ。

そうすけにとってはポニョはブリュンヒルデではなくポニョなんです。

千と千尋の神隠しでも千尋は名前を湯婆婆に奪われて千に。

呼び名というのはとても大事で、なんて呼ぶのかによって無意識のうちにその人が自分にとってどんな存在なのか、相手との関係性が決まってくる気がします。

例えばお母さんと呼ぶことでそこには親子の関係が発生します。

子供のご飯を作ったりお世話をしたり、家のこと、家事をやったりと。

1つのお母さんという役職のような形で見られてしまい、本来のリサという個人が忘れ去られてしまう。

僕らは知らず知らずのうちに呼び名というものでその人との関係性を型に当てはめてしまっているんではないかなと。

で、あるならばそうすけがリサ、耕一と呼ぶのには

お母さん、お父さん、そうすけといった型にはまった親子関係ではなく、

父親、母親である前に耕一、リサとして対等な立場の一個人であるとお互いが認め合う。

そんな新しい家族関係を描きたかったんじゃないでしょうか。

崖の上のポニョでそうすけが母親であるリサを呼び捨てにすることに否定的な意見も

崖の上のポニョの呼び捨て問題!なぜそうすけは母親をリサと呼ぶのか3
ただ親を呼び捨てにすることについてはもちろん否定的な意見もあります。

アメリカは崖の上のポニョをとんでもない映画だと言っています。

理由はアメリカでは両親を呼び捨てなんてありえない、怒られることだということ…。

結構その辺フランクなイメージがあるんですが意外ですよね。

そのせいか英語版の崖の上のポニョでは両親のことを名前で呼び捨てはなくリサのことは「mom」、耕一のことは「dad」と呼んでいます。

また、日本での反対意見としては単純に親を呼び捨てなんて教育に良くないからって意見が多いです。

やはり子供向けの作品ということもありいっしょに見ていた親からこのような意見がでるんでしょうね。

崖の上のポニョ呼び捨て問題、親を呼び捨てにすることについて考察

崖の上のポニョの呼び捨て問題!なぜそうすけは母親をリサと呼ぶのか4
そうすけが両親を呼び捨てにする件に関して賛否両論ありますが僕は賛成ですね。

お父さん!お母さん!と親に甘える存在としてではなく一人の自立した個人としてそうすけを描きたかった。

例え母親であっても呼び捨てでリサ、そんな新しい家族の形もいいよねっていう提案です。

物語の中でそうすけがリサを大声で呼び探すシーンがありますが、もしこれがリサではなくお母さんもしくはママと呼んでいたら…。

ただ迷子になった子供が泣きそうになりながらお母さんを探しているという…、かなり見方が変わってしまうシーンになりますよね。

とはいえ例えばもし自分がそうすけと同じように両親を呼び捨てで呼べってなったら抵抗あるんですけどね笑

映画内でそうすけがリサと母親を呼び捨てにすることに対しては賛成です。

同じようにお互いが名前で呼び合う家族の姿があってもいいと思います。

ただ今更親を呼び捨てにしろってなったら僕は抵抗あります笑

僕は兄妹がいるんですが兄妹間では名前で呼びあっていまして…

今更お兄ちゃんなんて言われたら違和感がすごいですね。

なぜ兄弟間は呼び捨てなのか?

と理由を聞かれたら正直これといった理由は見つからないんですよねー。

強いて言うなら、昔からずっとそうだったから。

親を今から呼び捨てで、名前で呼ぶのに抵抗があるのも同じ理由。

昔からずっと前からお母さん、お父さんと呼んできたから今更変えられない。

5歳の頃なんて特に自分の意思なんてあんまなかったなぁ…って

周りの環境ですよね。

周りが親のことをお母さんって呼んでるから自分もそう呼ぶ。

親がお母さんだよーって言えばそれはもうお母さんと呼ぶようになるというか。

もし自分も小さい頃から両親にお互い名前を呼び捨てにって環境だったらそうすけような形の家族関係だったのかな?なんて思っちゃいます。

今更呼ぶのは抵抗あるけど親子間でも名前で呼ぶってのはいいですよね。

やっぱり自分の名前を呼んでもらえるのってすごく嬉しいことだと思います。

僕は小学生の頃人の名前呼ぶの苦手でついねぇねぇ!あのさ!とかで呼んだりして…。

あの頃名前で呼ぶことの大切をわかっていたらもっと友達とコミュニケーションが取れてたのかなぁ。

なんて。

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崖の上のポニョの呼び捨て問題!なぜそうすけは母親をリサと呼ぶのか5
いかがでしたでしょうか?

そうすけが母親のリサと父親の耕一を呼び捨てにするのは、お父さん、お母さん、そうすけと言った型にはまった家族関係ではなく。

お互いが名前で呼びあうことで一人の対等な立場の人間として認め合っているということ。

そうすけにとってリサは母親である前に一人のリサという人間なんです。

両親であるリサと耕一がそうすけに自分たちのことを呼び捨てで呼ぶように教育していたからこのような家族の形になったんだと思います。

決してそうすけが呼び捨てでリサ!と呼んでいても母親を見下すような感じは一切ないですよね。

現代の日本での親子関係はいい学校に入って、いい会社に入ってとか親の価値観の押し付けしたり。

子供も子供で親のことを軽く見る。

お母さんなんだから自分の身の回りのことやってよ!みたいなしてくれて当たり前という感じになる。

そこには感謝の気持ちなんてこれっぽっちもない。

そうじゃなくてお互いがきちんと一人の人間としてみる、対等な立場で。

そういった親子関係という型にはまっていない、お互いが1人1人の自立した対等な個人としての新しい家族っていうを宮崎駿監督は描きたかったのかなって思います。

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